鳴門小旅行 第1日目
4月6日・7日と一泊で徳島・鳴門に行って来ました。
メンバーは仲良し4人組と旦那さんたちです。
Tさんの運転で篠原の護国神社前から出発しました。護国神社の桜はまだ満開でした。
お天気に恵まれて、神戸淡路鳴門自動車道からの眺めは山々に桜のピンクが点在してまさに「山笑う」の季語がぴったりの光景でした。
エスカヒル鳴門
鳴門公園の第一駐車場前にある渦潮・大鳴門橋展望施設
←「エスカヒル鳴門」
高低差34m、全長68mを誇る東洋一のエスカレーターで昇る展望室から見る鳴門海峡は圧巻です。
大渦潮の時間帯ではありませんでしたが小さな渦が所々に観られました。
大鳴門橋を渡って徳島に入り、鳴門で昼食となりました。
鳴門市ドイツ館
第一次世界大戦時、現在の鳴門市大麻町(旧町名:板野郡板東町)に建てられた坂東俘虜収容所で生活したドイツ兵と地元の人々との交流を後世に伝えるために建てられた記念館です。当時1,000人にのぼるドイツ兵達が1917年(大正6〜9年からの約3年間を収容所で過ごした生活の様子を再現しています。*1
会津出身の坂東俘虜収容所所長・松江豊寿大佐は、陸軍上層部からの批判にもめげずに俘虜たち*2を人道的に扱い、俘虜たちは自由な活動を許されていたのです。その活動は多彩で演劇、スポーツ、学習などを活発に行いました。
第九の里
音楽面では、複数のオーケストラや楽団、合唱団が定期的にコンサートを開き、様々な曲を演奏しました。中でもベートーベンの交響曲第九番を日本で初めて全曲演奏したことに因み、「第九の里」と名付けられました。
地域の人達も、俘虜達の進んだ技術や文化を取り入れようと牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・音楽・スポーツなどの指導を受けました。そして坂東の町並みでは、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び,日常的な交換風景が見られるようになりました。これ程町民に溶け込んだ俘虜は、世界的にも珍しかったのではないでしょうか。
「世界のどこに、松江大佐のような俘虜収容所所長がいたでしょうか」と後にドイツ人俘虜達に言わしめた松江豊寿大佐は、辛酸をなめた会津人として「武士の情け」を持ち合わせていた人物でした。世界に誇れる立派な日本人が居たのを知って、感動しました。また、その人が会津人と言う事にも興味を持ちました。
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ドイツ館を後に今夜のホテル「エキシブ鳴門」に向かいました。